播丹鉄道加古川線の開通に貢献し、私財を投じた人物の記録

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加古川線は、兵庫県加古川市の加古川駅から丹波市山南町の谷川駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)です。

1995年に発生した阪神・淡路大震災の際には、東海道・山陽本線(JR神戸線)の迂回路の役割を果たしました。

加古川線、谷川線誘致に私財をなげうって鉄道をひいたという人物がいたことをご存知の方は、もう少なくなっています。

地域の人々も詳細に伝えることのできる人々は年齢を重ねています。

その貴重な記憶が薄れ、子孫に語り継ぐことも難しくなっていると感じたので、ここに記録しておきたいと思います。

※苗字を一部伏字にしています。

大★★宗七

黒田官兵衛で一躍注目された「黒田庄町黒田」

■ 黒田庄町は、1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、喜多村・大門村・津万井村・岡村・福地村・大伏村・門柳村・前坂村・黒田村・小苗村・船町村・田高村・石原村の区域をもって黒田庄村が発足。

その町の5代村長:大★★宗七(1922年7月1日 – 1925年6月9日)として就任。

■ 1960年(昭和35年)1月1日 – 黒田庄村が町制施行して黒田庄町となりました。

そして、 大★★宗七(1956年5月26日 – 1964年3月30日)が初代町長に就任した。

加古川線と谷川線の誘致に関して、曾祖父である大★★宗七が自己の財産を投じて鉄道を建設したという事実は、知る人は少なくなっています。

加古川線を走っていたC12蒸気機関車

C12形蒸気機関車: 日本を走る車両図鑑 より

谷川線誘致に私財をなげうって大★★氏は「鉄道村長」として、大正11年7月1日黒田の荘厳寺入口に「宗徳翁頌徳碑」が建てられ、その遺徳が伝えられている。

多可郡黒田庄村五代村長大★★宗七の就任間もない大正11年7月「播州鉄道延長線協議会」を開催、黒田庄誘致への運動が起こされた。

当初、大★★宗七の父、「大★★崇徳、大胡★春村長、東★経吉氏、上★安重郎氏ら」5名の協力によりの谷川線の誘致を進めていた。

しかし、実際に証文を開封してみると、印鑑が押されていたのは大★★宗七の父である「大★★崇徳」のものだけでした。

そのため、大★★家の所有していた土地や山地を含む周辺地域全体と財産が、鉄道建設のために投資されました。

その名残は、とある場所に保管されています。

駅の命名の際に、家名を付ける案が出されたそうですが、「僭越ながら…」という理由で大★★宗七は、辞退したとのことです。

あとがき

曾祖父に関する紹介記事を見つけましたが、そこにはいくつかの誤った情報が含まれていました。

人々の記憶からは消えてしまって、子孫にも語りつぐことも薄れてくるとおもいますので、ここに記録しておきます。

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