学びの質と教える喜び―アラフィフでも遅くない、成長する喜びを見つける

「リモートでのお勉強会が終わりました!」

先日、私はリモートで行われたお勉強会を終えました。

なんと、6時間 × 2日間の集中的な学びの時間でしたが、あっという間の時間でしたよ!

しかも、内容はとても詳しく濃厚で集中力を高めることができました。

目次

学びの質の違いは何?

さて、皆さんは学びの質の違いについて考えたことはありますか?

私は、「何を学ぶか」よりも「誰から学ぶか」が重要だと思っています。

例えば、もしも陶芸に携わる方と出会って感銘を受けていたら、今頃は轆轤(ろくろ)を回し、土をこねて汗をかいているかもしれません。

学びの機会は本当にありがたいものですね。

学ぶことの喜びと成長

学ぶことには喜びと成長があります。何かを学ぶと、自分の中に知識が蓄積されていきます。

でも、ピアノやパソコンのことを学ぶとき、いつも「復習しなきゃ」といざ本を開くと、「先生はなんて言っていたっけ?」と焦ることもありますよね。

時間が経つと、学んだ大事なポイントをスッと忘れてしまうことも多くなりました。

でも、それでも学んだことが自分の中に積み重ねられている実感があります。

学ぶ前よりも学んだ後の方が、私たちは人として成長しているのかもしれません。

教える側を思う

もちろん、教える側の立場を思うことも大切です。

この度のお勉強会の2日間の授業で感じたことは、教える方は自分の知識だけでなく、テキスト作りや本の研究を通じて生徒に合った授業を作り上げてくださっていることです。

その努力を知ることで、私も一生懸命に学ぶことができました。

アラフィフでも遅くない、成長する喜びを見つける

習う師匠の選択を、私はとても重視しています。

自分に合う先生に出会えるまで、何人も変わりました。

そして、ようやく出会えた方々。

「試合に出る事は無いのですが、バックのスライスの打ち方を教えて欲しいんです。」とスクールのコーチに申し出ると「いいですよ!簡単ですから♪」と直ぐにレッスンに組み入れて下さったテニスコーチ。

「ちょっと自分には無理だろうなあ」という曲を弾いてみたいと言ったとき、「一緒にやってみましょう」と言ってくださったピアノの先生。

「こんなコード覚えれるんかなあ」WEBの試験の事をきいたら、「勉強するなら上級ですね。これは、訓練ですから、数をこなして覚えれば大丈夫。」と

昨日の食べたランチメニューだって、サクッと忘れる私に、応援メッセージを下さったPC先生。

「今更」と言わないで、「では、今からやってみましょう。」という一言で、出来るかもしれないと思うのです。

自分に合った「教養」を探せば、それが「自分の個性」となるということが分かってきました。

いまさら・・・・ですが (笑)

あとがき

最後に、タイトルにもあるように「アラフィフでも遅くない」ということを忘れずに邁進しています。

いつでも成長し続けることができます。

学びの喜びと成長を追求し、自分に合った教養を見つけることで、個性を発揮できるのです。

学びの喜びと成長を大切に、アラフィフでも遅くないというメッセージを感じていただければ幸いです!

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